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稲盛和夫先生の名著「生き方」から学ぶ人生の座標軸

はじめに

わたしは、2008年4月、絶望の淵にいたときに、稲盛和夫さんの名著「生き方」に出会いました。何度も何度も、読みましたが、何度読んでもその都度、新しい気付きがあるように思います。今回、この「生き方」をいう名著の中に出てくる、「人生の指針となるような言葉」を拾い、簡単な解説を加え、一人でも多くの方にお伝えしたいと思い、このページを作成いたしました。うまくできたかどうかりませんが、自分自身の人生の座標軸の確認に使いたいと思います。

目次

稲盛和夫先生の名著「生き方」から学ぶ人生の座標軸もく

1.      仕事の完成よりも、仕事をする人の完成

2.      人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

3.      一生懸命、誠実、まじめ、正直・・・

4.      臆病さ、慎重さ、細心さに裏打ちされていない勇気は単なる蛮勇にすぎない

5.      人生で出合う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。

6.      否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せた

7.      今日一日を懸命に生きる力

8.      集中力とは、思いの力の強さ、深さ、大きさから生み出されてくるものです。

9.      嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・・

10.  哲学者のような深い思考、武士のような清廉な心、小役人が持ち合わせてるぐらいの才知、お百姓のような頑健な体。

11.  一日一日をど真剣に生きる

12.  「神のささやく啓示」「神が手を差し伸べたくなるぐらいまでがんばれ」

13.  ただいま、このときを必死懸命に生きる

14.  今日を完全に生きれば明日が見える

15.  まじめ、ど真剣、懸命に仕事をする

16.  リーズナブル(正当である)

17.  判断の基準は「人間として正しいかどうか」

18.  徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を

19.  一が人格、二が勇気、三が能力

20.  嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな

21.  心を磨くために必要な「六つの精進」

22.  なんまん、なんまん、ありがとう

23.  禍福はあざなえる縄のごとし

24.  生涯一生徒の気持ち

25.  神さま、ごめん

26.  人を惑わせる「三毒」(欲望、愚痴、怒り)をいかに断ち切るか

27.  「その思いには、おのれの欲が働いていないか、私心がまじっていないか」と自問する

28.  働く喜びは、この世に生きる最上の喜び

29.  六波羅蜜

30.  日々の労働によって心は磨かれる

31.  悟りは日々の労働の中にある

32.  托鉢の行をして出会った人の心のあたたかさ

33.  利他の心

34.  まことの商人は、先も立ち、われも立つことを思うなり

35.  動機善なりや、私心なかりしか

36.  事業の利益は預りもの、社会貢献に使え

37.  世のため人のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である

38.  財を散ずるに道あり

39.  王道と覇道

40.  忘己利他

41.  足るを知る

42.  「因果はめぐる」

43.  「善を為すものその益を見ざるは、草裡(そうり)の東瓜(とうが)のごとし」

44.  心を高める

45.  六波羅蜜(布施、持戒、精進、忍辱、禅定、智慧)

46.  不完全でもいい、精進を重ねることこそが尊い

47.  神や仏は、あるいは宇宙の意志は、何事かをなした人を愛するのではありません。何事かをなそうと努める人を愛するのです。

48.  心の中心に
真理とつながる美しい「核」がある

49.  災難があったら「業」が消えたと喜びなさい

 

50.  人のあるべき「生き方」をめざせ明るい未来はそこにある

1.仕事の完成よりも、仕事をする人の完成

このように、一つのことに打ち込んできた人、一生懸命に働きつづけてきた人というのは、その日々の精進を通じて、おのずと魂が磨かれていき、厚みのある人格が形成していくものです。

 働くという営みの尊さは、そこにありますう。心を磨くというと宗教的な修行などを連想するかもしれませんが、仕事を心から好きになり、一生懸命精魂込めて働く、それだけでいいいのです。

 ラテン語に、「仕事の完成よりも、仕事をする人の完成」という言葉があるそうですが、その人格の完成もまた仕事を通じてなされるものです。いわば、哲学は懸命の汗から生じ、心は日々の労働の中で錬磨されるのです。(稲盛和夫著「生き方」P23)

2.人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは、次のようなものです。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の“掛け算”によって得られるものであり、決して“足し算”ではないのです。(稲盛和夫著「生き方」P25)

3.一生懸命、誠実、まじめ、正直・・・

「人生の方程式」で示したように、いくら技術や知恵(能力)が高くても、また、熱意をもっていたとしても、考え方一哲学、理念、思想一を高める努力を忘れているならば、この地球に多大な災厄をもたらす結果となるのです。

 ですから、人間として正しい生き方、あるべき姿を追求することは、もはや私たちの個人的な問題ではありません。人類を正しい方向に導き、地球を破滅への道から救い出すためには、一人ひとりが自分の「生き方」をいま一度見直してみる必要があるのです。

それには、人一倍厳しい生き方をおのれに課し、絶えず自分を律することが不可欠です。

一生懸命、誠実、まじめ、正直・・・・そうしたシンプルで平易な道徳律や倫理観をしっかりと守ること、それを自分の哲学や生き方の根っこに据えて不動のものにすることです。(稲盛和夫著「生き方」P35~P36)

4.臆病さ、慎重さ、細心さに裏打ちされていない勇気は単なる蛮勇にすぎない

私はそのとき、開口一番、命がけの冒険を辞さない大場さんの勇気をたたえたのですが、大場さんはちょっと困ったような顔をして、それを即座に否定されました。

「いえ、私に勇気はありません。それどころか、たいへんな怖がりなんです。臆病ですから細心の注意を払って準備をします。今回の成功の要因もそれでしょう。逆に冒険家が大胆だけだったら、それは死に直結してしまいます」

 それを聞いて私は、どんなことであれ事をなす人物は違うものだ、人生の真理というものをその掌中にしっかり握っておられると感心しました。臆病さ、慎重さ、細心さに裏打ちされていない勇気は単なる蛮勇にすぎないのだと、この希代の冒険家はいいたかったのでしょう。

(稲盛和夫著「生き方」P52~P53)

5.人生で出合う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。

「われわれの心のうちには災難を引き寄せる磁石がある。病気になったのは病気を引き寄せる弱い心をもっているからだ」というくだりを見出して、その言葉にくぎづけになりました。谷口さんは「心の様相」という言葉を使って、人生で出合う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。病気もその例外ではない。すべては心の様相が現実にそのまま投影するのだということを説いておられました。(稲盛和夫著「生き方」P54~P55)

6.否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せた

天罰が下ったかのように、父も兄も何ともないのに、私だけがうつってしまった。ああ、そういうことかと私は思いました。避けよう、逃げようとする心、病気をことさら嫌う私の弱い心が災いを呼び込んだのだ。恐れていたからこそ、そのとおりのことがわが身に起こった。否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せたのだと思い知らされたのです。(稲盛和夫著「生き方」P55)

7.今日一日を懸命に生きる力

京セラにもこれまで、優秀で利発な人間がたくさん入社してきましたが、そういう人に限って、この会社には将来がないと辞めていきました。したがって残ったのは、あまり気の利かない、平凡で、転職する才覚もない鈍な人材ということになる。しかし、その鈍な人材が十年後、二十年後には各部署の幹部となりリーダーとなっていく。そういう例もずいぶん見てきました。彼らのような平凡な人材を非凡に変えたものは何か。一つのことを飽きずに黙々と努める力、いわば今日一日を懸命に生きる力です。また、その一日を積み重ねていく継続の力です。すなわち継続が平凡を非凡に変えたのです。(稲盛和夫著「生き方」P66~P67)

8.集中力とは、思いの力の強さ、深さ、大きさから生み出されてくるものです。

そして、集中力とは、思いの力の強さ、深さ、大きさから生み出されてくるものです。事をなすには、まずかくあれと思うことがその起点となるといいました。その思いをどれだけ強く抱き、長く持続して、実現のために真剣に取り組めるか。それがすべての成否を分けるのです。(稲盛和夫著「生き方」P76)

 

9.嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・・

いったい、どうしたらいいのだろう。私は悩みました。そしてその末に行き着いたのは、「原理原則」ということでした。すなわち「人間として何が正しいのか」というきわめてシンプルなポイントに判断基準をおき、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうと考えたのです。嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・・そういう子供のころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような、「当たり前」の規範に従って経営も行っていけばいい。(稲盛和夫著「生き方」P84~P85)

10.哲学者のような深い思考、武士のような清廉な心、小役人が持ち合わせてるぐらいの才知、お百姓のような頑健な体。

福沢諭吉が講演で語った一節にふれて、それが、この私の「人生の方程式」の正しさを裏打ちしてくれていると思ったことがあります。それはこういう言葉です。

「思考の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加うるに土百姓の身体をもってして、初めて実業社会の大人たるべし」

 実業の社会で、立派な人物たりうるための必要条件を一ほぼその優先順位に従って一述べた言葉です。すなわち哲学者のような深い思考、武士のような清廉な心、小役人が持ち合わせてるぐらいの才知、お百姓のような頑健な体。これらがそろって初めて、社会に役立つ「大人」たることができるというのです。(稲盛和夫著「生き方」P97)

11.一日一日をど真剣に生きる

「一日一日をど真剣に生きる」一これも単純なことですが、生き方の根幹をなすきわめて大切な原理原則の一つです。(稲盛和夫著「生き方」P97)

12.「神のささやく啓示」「神が手を差し伸べたくなるぐらいまでがんばれ」

どんなことがあっても成功を勝ち取るのだ、という切迫した気持ちを持ち合わせていると一加えて物事を素直に見られる謙虚な姿勢を忘れなければ一ふだんは見過ごしてしまうような、ごく小さな解決への糸口を見つけることにつながるものです。

 それは私は「神のささやく啓示」と表現しています。あたかもそれが、必死の努力を重ねて苦しみもだえている人に神さえもが同情し、そんなに一所懸命やっているなら助けてあげたいと、答えを与えてくれるように感じるからです。ですから、私はよく「神が手を差し伸べたくなるぐらいまでがんばれ」と社員に檄を飛ばしたものです。(稲盛和夫著「生き方」P100)

13.ただいま、このときを必死懸命に生きる

これをいうと、驚かれる方が少なくないのですが、私は長期の経営計画というものを立てたことがありません。もちろん、経営理念に基づいた長期の経営戦略などの必要性や重要性は、承知しているつもりです。しかし、今日を生きることなしに、明日はやってきません。明日もわからないのに、五年先、十年先のことがはたして見通せるでしょうか。

 まずは、今日という一日をい一生懸命に過ごすこと、それが大切だと思うのです。どんなに壮大な目標を掲げてみても、日々の地味な仕事に真剣に向き合い、実績を積み重ねていかなければ成功はありえません。偉大な成果は堅実な努力の集積にほかならないのです。(稲盛和夫著「生き方」P103~P104)

14.今日を完全に生きれば明日が見える

先の功をいたずらに焦らず、今日一日を懸命に、真剣に生きることによって、おのずと明日は見えてくる。そうした充実した一日の連続が、五年たち、十年たつと大きな成果に結実する一私はそう考え、肝に銘じながら、これまで経営を行ってきました。その結果、「今日を完全に生きれば明日が見える」ことを、人生の真理として体得することができたのです。(稲盛和夫著「生き方」P104)

15.まじめ、ど真剣、懸命に仕事をする

人生という長く大きな舞台ですばらしいドラマを演じ、大きな

成果を上げるための能力とは、単に脳細胞のシワの数だけをいうのではありません。どんなときでも愚直なまでに真剣に物事に取り組み、真正面から困難にぶち当たっていく。それが、成功するための唯一の方法であり、私たちが日々心がけるべき原理原則といえます。

 まじめ、ど真剣、懸命に仕事をする一こういってしまうと平凡に聞こえるかもしれません。しかし、その平凡の言葉にこそ、人生の真理は隠されているのです。(稲盛和夫著「生き方」P112)

16.リーズナブル(正当である)

その過程で気づいたのは、外国、とりわけアメリカでは、物事を判断するのび「リーズナブル(正当である)」という言葉がよく出てくることでした。彼らが「たしかにおまえのいうことはリーズナブルだ」と納得すれば、前例とか企業の大小などにはとらわれず、すばやく意思決定してくれる。そのために非常にスピーディに交渉を進めることができたのです。(稲盛和夫著「生き方」P121~P122)

17.判断の基準は「人間として正しいかどうか」

判断の基準はつねに、自分の胸に手を当てて、「人間として正しいかどうか」におくべきなのです。なぜなら、それは国境を越えた普遍性を有するため、多少の文化的な衝突はあっても、根っこのところでは、かならず彼らも理解してくれるのです。(稲盛和夫著「生き方」P122)

18.徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を

かつての日本人は、もう少し、遠回りだけれども「大きなものの考え方」をしていたものです。わが敬愛する西郷隆盛も、「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」と述べています。つまり功績にはお金で報いればいい、人格の高潔な者こそ高い地位に据えよといっているのです。百年以上も前の言ですが少しも古びていない、今日にも十分通用する普遍的な考え方といえます。(稲盛和夫著「生き方」P131)

19.一が人格、二が勇気、三が能力

中国の明代の思想家、呂新吾がその著書「呻吟語」(しんぎんご)の中で明確に説いています。すなわち「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」

 この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力よもいいかえられるでしょう。つまり呂新吾は、人の上に立つ者はその三つの要素を兼ね備えていることが望ましいが、もしそこに序列をつけるなら、一に人格、二に勇気、三が能力であると述べているのです。(稲盛和夫著「生き方」P132)

20.嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな

正しい生き方とは、けっしてむずかしいことではないはずです。子どものときに親から教わった、ごく当たり前の道徳心一嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな一そういうシンプルな規範の意味をあらためて考え直し、それをきちんと遵守することがいまこそ必要なのです。(稲盛和夫著「生き方」P135)

21.心を磨くために必要な「六つの精進」

①だれにも負けない努力をする

②謙虚にして驕らず

③反省ある日々を送る

④生きていることに感謝する

⑤善行、利他行を積む

⑥感性的な悩みをしない

(稲盛和夫著「生き方」P135~P138)

22.なんまん、なんまん、ありがとう

なんまん、なんまん、ありがとう。子どもにもやさしく覚えやすい祈りの言葉。それは私の信仰心の原型となった言葉であり、また、私の中に感謝する心を培うきっかけともなったことばでした。(稲盛和夫著「生き方」P142)

23.禍福はあざなえる縄のごとし

禍福はあざなえる縄のごとし一よいことと悪いことが織りなされていくのが人生というものです。だからよいにつけ悪いにつけ、照る日も曇る日も変わらず感謝の念をもって生きること。福がもたらされたときにだけでなく、災いに遭遇したときもまた、ありがとうと感謝する。そもそもいま自分が生きている、生かされている。そのことに対して感謝の心を抱くこと。その実践が私たちの心を高め、運命を明るく開いていく第一歩となるのだと、私は心にいい聞かせてきました。(稲盛和夫著「生き方」P142

24.生涯一生徒の気持ち

感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。自分の耳に痛いこともまっすぐな気持ちで聞き、改めるべきは明日といわず、今日からすぐに改める。そんな素直な心を私たちの能力を伸ばし、心の向上を促します。

 この「素直な心」の大切さを説いたのが、松下幸之助さんでした。松下さんは、自分には学問がないからと、いつも他人から教えてもらうことで自分を成長させていこうとする姿勢を生涯変えることがありませんでした。“経営の神さま”といわれてなかば神格化された以後も、この「生涯一生徒の気持ち」を忘れずに貫かれたところに、松下さんの真の偉大さがあると私は思っています。(稲盛和夫著「生き方」P145)

25.神さま、ごめん

驕り、高ぶり、慢心、いたらなさ、過ち、そういうおのれの間違った言動に気づいたときは自ら反省の機会をもち、自分を律する規範のタガを締め直すことが大事です。そのような日々の反省を厭わない人こそ、心を高めていくことができるのです。

 「神さま、ごめん」一私も実際にそう声に出して、反省の言葉を口にすることがあります。ちょっといばったようなことや調子のいいことをいってしまった日など、家に帰り、あるいはホテルの部屋に戻ると、「神さま、さっきの態度はごめんなさい、許してください」と反省し、次はするまいと自分を戒めるのです。

 この「神さま、ごめん」と「なんまん、なんまん、ありがとう」は、互いに対をなしている私の口ぐせといえます。(稲盛和夫著「生き方」P147~P148)

26.人を惑わせる「三毒」(欲望、愚痴、怒り)をいかに断ち切るか

密とは、人間の欲望を満たしてくれる快楽のことでしょう。そして人間が落ちてくるのを待っている竜は、人の心がつくり出したもの。いわば人間が抱くみにくい思念や欲望をそのまま投影したものなのです。

 欲望、愚痴、怒りの三毒は、百八つあるといわれる煩悩のうちでも、ことに人間を苦しめる元凶であり、また逃れようとしても逃れられない、人間の心にからみつて離れない「毒素」といえましょう。(稲盛和夫著「生き方」P152)

27.「その思いには、おのれの欲が働いていないか、私心がまじっていないか」と自問する

たとえば、私たちは日々さまざまな事柄について判断を迫られています。そんなとき瞬間的に判断を下したことは、おおむね本能から(つまり欲望から)出てきた答えです。したがって相手に返答する前に、最初の判断をいったん保留して、ちょっと待てよとひと呼吸おく。

「その思いには、おのれの欲が働いていないか、私心がまじっていないか」と自問することが大切なのです。そうやって結論を出す前に、「理性のワンクッション」を  入れると、欲に基づいた判断ではなく、理性に基づく判断に近づくことができる。少なくとも思考プロセスにそのような理性的な回路を設けておくことは、欲を離れるためにきわめて大事なことだと思います。稲盛和夫著「生き方」P154)

28.働く喜びは、この世に生きる最上の喜び

仕事における喜びというのは、飴玉のように口に入れたらすぐ甘いといった単純なものではありません。労働は苦い根と甘い果実をもっているという格言のとおり、それが苦しさやつらさの中からにじみ出してくるもの。仕事の楽しさとは苦しさを超えたところにひそんであるものなのです。

 だからこそ、働くことで得られる喜びは格別であり、遊びや趣味ではけっして代替できません。まじめに一生懸命仕事に打ち込み、つらさや苦しさを超えて何かを成し遂げたときの達成感。それに代わる喜びはこの世にはないのです。(稲盛和夫著「生き方」P158~P159)

29.六波羅蜜

①布施 世のためひとのために尽くす利他の心をもつこと。

②持戒 人間としてやってはならない悪しき行為を戒め、戒律を守ることの大切さを説くものです。

③精進 何事にも一生懸命に取り組むこと。すなわち努力のことをいいます。

④忍辱(にんにく) 苦難に負けず、耐え忍ぶこと。

⑤禅定(ぜんじょう)せめて一日一回は心を静め、静かに自分をみつめ、精神を集中して、揺れ迷う心を一点に定めることが必要になってきます。

⑥智慧(ちえ)以上の、布施、持戒、精進、忍辱、禅定の五つの修養に努めることによって、宇宙の「智慧」、すなわち悟りの境地に達することができるとされています。

稲盛和夫著「生き方」P161~P162)

30.日々の労働によって心は磨かれる

この六波羅蜜の六つの修養は、悟りに至る修行の道を説いたものですが、なかでも私たちが暮らしの中でも実践しやすく、また心を高める方途として一番基本的かつ重要な要件は、「精進」一努力を惜しまず一生懸命働くことです。

 いいかえれば、私たちが自分の人間性を向上させたいと思ったとき、そこにむずかしい修行などは必要ありません。ただ、ふだんのくらしの中で自分に与えられた役割、あるいは自分が行うべき営為を一それが会社の業務であろうと、家事であろうと、勉学であろうと一粛々と、倦まず弛まず継続していくこと。それが、そのまま人格鍛錬のための修行となるのです。

稲盛和夫著「生き方」P162~P163)

31.悟りは日々の労働の中にある

「木には命が宿っている」

「木が語りかけてくる」

 そんな深遠な響きの言葉を寡黙なうちにもポツリと口にされる。そういう宮大工の棟梁の風貌が、私にはどんな偉い哲学者や宗教家よりも崇高に見えます。努力を惜しむことなく、辛苦を重ねながら、懸命に一筋の道を究める、そのような精進によって、あの人たちがたどり着いた心の高みや人格の奥深さに、何かすごみさえ感じるのは私だけではないはずです。このことからも、働くという営みの尊さをあらためて思わないわけにはいいきません。「悟りは日々の労働の中にある」ことをつくずく実感させられるのです。稲盛和夫著「生き方」P164)

32.托鉢の行をして出会った人の心のあたたかさ

初冬の肌寒い時期、丸めた頭に網代笠(あじろがさ)を被り、紺木綿の衣、素足にわらじという姿で、家々の戸口に立ってお経を上げて、施しを請う。いわゆる托鉢の行は慣れない身にはひどくつらく、わらじからはみ出した足の指がアスファルトですり切れて血がにじみ、その痛みをこらえて半日も歩けば、体は使い古しの雑巾のようにくたびれてしまいます。

 それでも先輩の修行僧といっしょに、何時間も托鉢を続けました。夕暮れどきになって、ようやく、疲れきった体を引きずり、重い足どりで寺へと戻る途上、とある公園にさしかかったときのことです。公園を清掃していた作業服姿の年配のご婦人が、私達一行に気づくと、片手に箒を持ったまま小走りに私のところにやってきて、いかにも当然の行為であるかのひょうに、そっと五百円玉を私の頭陀袋に入れてくださったのです。

 その瞬間、私はそれまで感じたことのない感動に全身を貫かれ、名状しがたい至福感に満たされました。

 それは、その女性がけっして豊かな暮らしをしえちるようには見えないにもかかわらず、一介の修行僧に五百円を喜捨することに、何のためらいも見せず、またいっぺんの驕りも感じさせなかったからです。その美しい心は、私がそれまでの65年間で感じたことがないくらい、新鮮で純粋なものでした。私は、その女性の自然の慈悲の行を通じて、たしかに神仏の愛にふれたと実感できたのです。

(稲盛和夫著「生き方」P171~P172)

33.利他の心

おのれのことは脇に置いて、まず他人を思いやる、あたたかな心の発露一あのご婦人の行為はささやまなものではありましたが、それだけに人間の思いと行いのうちの最善のものを示していたように思えます。その自然の徳行が、私に「利他の心」の真髄を教えてくれたのです。

 「利他」の心とは、仏教でいう「他に善かれしか」という慈悲の心、キリスト教でいう愛のことです。もっとシンプルに表現するなら、「世のため、人のために尽くす」ということ。人生を歩んでいくうえで、また私のような企業人であれば会社を経営していくうえで欠かすことのできないキーワードであると私は思っています。

稲盛和夫著「生き方」P172~P173)

34.まことの商人は、先も立ち、われも立つことを思うなり

江戸中期の思想家・石田梅岩は「商人の売利は士の禄に同じ」と述べ、商人が利を得ることは武士が禄をはむのと同じ正当な行為であり、けっして恥ずべきことではないと、陰でさげすまれることの商人を励ましています。

 「まことの商人は、先も立ち、われも立つことを思うなり」一これも梅岩の言葉ですが、要するに、相手にも自分にも利があるようにするのが商いの極意であり、すなわちそこに「自利利他」の精神が含まれていなくてはならないと述べているわけです。

稲盛和夫著「生き方」P179)

35.動機善なりや、私心なかりしか

「おまえが電気通信事業に乗り出そうとするのは、ほんとうに国民のためを思ってのことなのか。会社や自分の利益を図ろうとする私心がそこに混じっていないか。あるいは、世間からよく見られたいというスタンドプレーではないか。その動機は一点の曇りもない純粋なものか・・・・・」

 という自問自答を私はくり返しました。すなわち「動機善なりや、私心なかりしか」一よいうことを、何度も何度も自分の胸に問うては、その動機の真意を自分に問いつづけたのです。

 そして半年後、ようやく自分の心の中には少しも邪(よこしま)なものはないことを確信し、DDI(現・KDDI)に設立に踏み切ったのです。

稲盛和夫著「生き方」P183~P184)

36.事業の利益は預りもの、社会貢献に使え

 創業から数年後、会社の基礎も固まってきたころ、私は暮れのボーナスを社員一人ひとりに手渡したあと、その一部を社会のために寄付することも考えたらどうかと提案しました。社員全員から少しずつお金を出してもらい、それと同額のお金を会社からも提供して、それをお正月にお餅も買えないような貧しい人へ寄付しよう提案したのです。

 従業員はそれに賛同してくれ、ボーナスの一部を快く寄付してくれました。これが、今日京セラが行っているさまざまな社会貢献事業のさきがけとなり、その精神はいまも変わることなく生きています。(稲盛和夫著「生き方」P188)

37.世のため人のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である

つまり自分たちの汗の結晶を、その一部でいいから他人のために使って、社会のために役立ててもらおうという利他の精神の実践に、創業まもないころから努めてきたのです。

 私も個人として「世のため人のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」という信念から、1985年に「京都賞」を創設しました。私が持っていた京セラの株式や現金など二百億を拠出して稲盛財団をつくり、先端技術、基礎科学、思想・芸術の各分野ですばらしい業績を上げ、多大な貢献を果たした人たちを選んで顕彰、その功績をたたえようという趣旨で始めたもので、現在では、ノーベル賞に匹敵する国際賞として高く評価していただけるようになっています。(稲盛和夫著「生き方」P189)

38.財を散ずるに道あり

私は「個人の富は、社会の利益のために使われるべきだ」というアンドリュー・カーネギーが残した言葉に深い共感を覚えます。私自身もかねてからそのような考えをもっていただけに、天からいただいた富は、よのため人のために使っていくべきだと考え、さまざまな社会事業、慈善事業を手がけてきたのです」

 「利を求むるに道あり」と先に述べましたが、「財を散ずるに道あり」だと思います。

お金は儲けるより使うほうがむずかしいといいます。利他の精神で得たお金はやはり利他の精神で使うべきであり、そうやって財を「正しく」散ずることでわずかながらでも社会貢献を果たしていきたいと考えています。稲盛和夫著「生き方」P190)

39.王道と覇道

中国革命の父である孫文が、1924年に神戸で行った有名な講演があります。その講演の中で、孫文は欧米の文化と東洋の文化を比較した「王道と覇道」という話に言及しています。

 武力によって人を支配する文化は欧米に源流をもち、それを中国の古い言葉では覇道といいます。それに対し、王道は東洋に連綿と流れるもので、徳に基づいて人々を導こうとするものです。

 孫文は、軍備拡張、領土拡大に傾斜する当時の日本に、「覇道」ではなく「王道」を選ぶべきだと説いたのですが、残念ながら日本は覇道を歩み、第二次世界大戦へとまっすぐに突き進んでしまった。そして終戦後は近年に至るまで、経済による覇権主義をとってきたのです。

 しかし、これからは国も人も、思いやりや利他という心の「徳」に根ざしtら王道的な生き方を基軸にしていかなければ、日本はまたもや大きな過ちを犯しかねない。私はそう危惧しているのです。(稲盛和夫著「生き方」P194)

40.忘己利他

天台宗には「忘己利他」という言葉があります。読んで字のごとし。自分のことを忘れて、人さまのために尽くすという仏の教えのことです。音で聞けば「もう懲りた」とも聞こえますから、「物欲を追求することはもう懲りた。今後は、自分のことはさておいて、人さまのために尽くしていかなかればいけない」と理解すべきだと、かつて天台宗の座主(ざず)であられて山田恵諦さんから教えていただいたことがあります。

 こういうことを私が強調するのは、思いやりとか利他といった美徳が、いまの日本社会からすっかり失われてしまったという気が強くするからです。

 思いやりや利他の心が忘れさられてしまえば、残るのはおのれの欲望だけです。そのような利己欲望を容認し、放任してきた結果が、昨今の世相に表れているのではないでしょうか。(稲盛和夫著「生き方」P195)

41.足るを知る

つまりこのままでは、日本という国が破綻してしまうだけでなく、人間は自分たちの住処である地球そのものを自分たちの手で壊してしまうことになりかねない。それと知って、あるいはそれと気づかず、沈みゆく船の中で、なお奢侈を求め、飽食を楽しむ一私たちはその行為のむなしさ、危うさに一刻も早く気づき、新しい哲学のもとに新しい海図をを描く必要があるのです。

 では、新しい哲学を何に求めたらいいのでしょうか。

 私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学をひと言でいうなら、「足るを知る」ということであろうと思います。また、その知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにした、他人を思いやる利他の行いであろうと思います。(稲盛和夫著「生き方」P201)

42.「因果はめぐる」

三田工業の再建において実感したことは、長い目で見れば、やっぱり「因果はめぐる」のだと。善行が悪果で終わることはない。一時はひどい苦労を強いられるようにも見えたが、結局、再建にも成功し、従業員からも感謝された。そして、その「善の循環」の輪は、さらに広がっていくだろうと確信したのです。(稲盛和夫著「生き方」P218)

43.「善を為すものその益を見ざるは、草裡(そうり)の東瓜(とうが)のごとし」

「善を為すものその益を見ざるは、草裡(そうり)の東瓜(とうが)のごとし」と中国明代の菜根譚(さいこんたん)にありいます。善行をしても、その報いが現れないのは、草むらの中の瓜のようなものである。それは人の目には見えなくても、おのずと立派に成長しているものなのです。

 因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果を焦らず、日ごろから倦(う)まず弛(たゆ)まず、地道に善行を積み重ねるよう努めることが大切なのです。(稲盛和夫著「生き方」P218)

44.心を高める

それでは、宇宙の意志、創造主は何を望んで、私たちをこの世に生み出したのか。なぜ一度きりの生を授け、絶え間なく成長発展することをその本然としたのか。いいかえれば私たちはどう生きれば、その大いなる思いにこたえることができるのか。この自問は、人知の及ばぬ壮大な問いでもありますが、私は「心を高める」こと以外に、その答えはないと思っています。(稲盛和夫著「生き方」P226)

45.六波羅蜜(布施、持戒、精進、忍辱、禅定、智慧)

宇宙の意志が意図し定めた、人間という生命が最終的にまざすべきものは、ただ心の錬磨にあり、その魂の修行、試練の場として、私たちの人生が与えられているということなのです。

 その心を磨き、高めるには、日々の生活の中の精進が大切であるということも、私はこれまでくり返し述べてきました。布施、持戒、精進、忍辱、禅定、智慧というお釈迦さまの説いた「六波羅蜜」に集約される修行法を、毎日の暮らしの中で絶えず心がけることが、私たちの心魂を向上させるのです。(稲盛和夫著「生き方」P227)

46.不完全でもいい、精進を重ねることこそが尊い

得度とその後の修行は、私にとってやはり厳粛で、かつ鮮烈な体験でした。托鉢の行などを通じて、より深く仏の慈悲にふれることができ、出家後に新しく見えてきた世界もあれば、それ以前と変わることなく努めていけばいいのだと思えることもありました。

 「悟りの前、木を伐り、水を運んでいた。悟りの後、木を伐り、水を運んでいる」という禅の言葉があるそうですが、仏門に入ったあとも、私は変わらず俗世にあって世間のちりやほこりにまみれながら生きえています。しかしながら、内面で何かが確実に変わっていることもまたよく実感できます。(稲盛和夫著「生き方」P229)

47.神や仏は、あるいは宇宙の意志は、何事かをなした人を愛するのではありません。何事かをなそうと努める人を愛するのです。

戒めを十全には守れなくても、守ろうとする気持ち。守らなくてはいけないと思う気持ち。守れなかったことを真摯に自省、自戒する気持ち。そうした思いこそが大事であって、そのような心をもって毎日を生きていくことが、悟りに至らないまでも、十分に心を磨くことにつながり、救いにも通じる。そのことを私は、得度や修行によって信じることができるようになりました。神や仏は、あるいは宇宙の意志は、何事かをなした人を愛するのではありません。何事かをなそうと努める人を愛するのです。なそうとしてなせない、おのれの力の至らなさを反省し、また明日から、なそうと倦まず弛まず努める。そういうひとこそを救ってくださるのです。(稲盛和夫著「生き方」P231)

48.心の中心に真理とつながる美しい「核」がある

私は、人間の心は多重構造をしえちて、同心円状にいくつかの層をなしているものと考えています。すなわち外側から、

①知性一後天的に身につけた知識の論理

②感性一五感や感情などの精神作用をつかさどる心

③本能一肉体を維持するための欲望など

④魂 一真我が現世での経験や業をまとったもの

⑤真我一心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちている

という順番で、重層構造をなしていると考えています。私たちは心の中心部に「真我」をもち、その周囲に「魂」をまとい、さらに魂の外側を本能が覆った状態でこの世に生まれてきます。たとえば、生まれたての赤ん坊でも、おなかがすけば母乳を欲しがりますが、これは心の一番外側に位置する、本能のなせる業です。稲盛和夫著「生き方」P232~P233)

49.災難があったら「業」が消えたと喜びなさい

老師は私の話に対し、開口一番、次のようにいわれたのです。

「たいへんでしょうが、しかたありません。生きていれば、苦労は必ずあるものです。」

 そして、続けざまに次のようにお話しくださったのです。

「災難にあったら、落ち込むのではなく喜ばなくてはいかんのです。災難によって、いままで魂についていた業が消えていくのです。それぐらいの災難で業が消えるのですから、稲盛さん、お祝いしなくてはいけません」

 この一言によって、私は十分に救われた思いがしました。世間からの批判も、「天が与えたもう試練」と素直に受け取ることができたのです。まさに、いかなる慰めの言葉にもまさる最高の教えを老師は授けてくださり、私は人間が生きるということの意味、そしてその奥底に横たわる偉大な真理までを学ぶことができました。稲盛和夫著「生き方」P234~P236)

50.人のあるべき「生き方」をめざせ
明るい未来はそこにある

一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います。(稲盛和夫著「生き方」P242~P243)

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