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労働組合とは(その歴史と構成形態)

参考資料URL

ウキペディア 日本の労働運動史

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ウキペディア 労働組合

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88

 

目次

1.日本の労働運動史    

①戦前

②戦後

 米軍占領時代

③米軍占領終結から安保闘争まで

④高度経済成長期

⑤安定成長期

⑥労働界の再編期(新保守主義の勃興)

⑦ソ連崩壊から9・11テロ前まで

⑧9・11テロ以後

 

2.労働組合の構成形態

①職能組合

②産業別組合

③企業別組合

④単位産業別労働組合  

⑤一般組合

⑥合同労働組合

 

3.ショップ制

①オープンショップ制

②クローズドショップ制

③ユニオンショップ制

④エイジェンシーショップ制

 

4.各国の状況

①日本

②米国

③中華人民共和国

 

 

1. 日本の労働運動史

①戦前

日本では明治維新以来、「富国強兵」・「殖産興業」の名のもとに急速な工業化が進行したが、労働者の生活については省みられる事がほとんどなかった。1897年、片山潜・高野房太郎らが「労働組合期成会」を立ち上げたのを機に日本で最初の労働組合が結成されるが、1900年に治安警察法が制定されてストライキを違法行為と定められるとともに労働運動の弾圧が始まり、1902年には労働組合期成会も解散に追い込まれた。1904年に『共産党宣言』初めて邦訳された。1912年、鈴木文治らによって結成された「友愛会」は労働問題の平和的な解決を目指す団体であったが、次第に労働組合化して日本労働総同盟となり、後の「日本労働組合総同盟」の母体となった。ロシア革命の成功後、労働運動も政府側の弾圧も激化する事になる。

 

そんな中で象徴的な出来事が19191010日にあった。内務大臣床次竹二郎が西日本の博徒の代表を呼んで食事会を行い、その中で床次より博徒達に対して労働運動弾圧への協力要請がなされた。明治政府以来、賭博犯処分規則の施行等によって反政府活動以外の分野で最も重要な治安政策が博徒の取締であった。ここにおいてその大方針を放棄してまで労働運動弾圧に当たろうとした事は、当時の政府がいかに労働運動を危険視していたかを裏付けるものである。これらの博徒達が結成した大日本国粋会は、以後の労働運動弾圧のための、政府が手を下す事を憚られる実力行使を行なう暴力装置として活躍する事になる。

 

1923年の関東大震災直後には労働組合の指導者が虐殺されるという亀戸事件が起きた。また、同年に日本共産党が創立されたが、1945年までは非合法組織だった。1925年には治安維持法が制定される事になる。

 

1927年には、戦前では最長(216日間)のストライキを含む、野田醤油労働争議(千葉県野田市)が起こる。19274月の賃上げ交渉から始まった争議は9月まで続き、ストに突入する。スト参加者は全員解雇されたが日本労働総同盟の支援を受けストを続行。会社側は警察はもちろん、暴力団にいたるまでの暴力装置を用いたため、組合組織は壊滅した。

 

1930年(昭和5年)、神戸市は東京市電の労働争議に参加した職員の解雇を発表。これに抗議する従業員約900人が同年421日から428日までストライキを実施した。また、1937年(昭和12年)、神戸市は従業員組合平田執行委員長ほか幹部4人について怠業を理由として懲戒解雇を発表。これに抗議する神戸市電組合争議団約500人は、同年76日、会社側から切り崩しなどを受けぬよう集団で淡路島に移動し、結束してストライキを行った。

 

1936年(昭和11年)419日、全国の右翼系労働組合(総連合、産労クラブ、新日本海員組合、東電愛国同盟、大日本忠孝労働組合、日本労働同盟など)が合同して日本愛国労働組合全国懇話会を結成した。

 

1937年(昭和12年)3月、静岡県の持越鉱山の坑内でガス爆発事故が発生して死傷者が出ると、労使の対立が激化。同年519日、会社側は不況を理由に作業員277人の解雇を発表した。これに対抗するため労働総同盟持越支部は1か月を超えるストライキに突入した。労使交渉には会社側のほか地元警察も加わったが、労働者側には総同盟本部からの応援も加わり難航。デモを通じてメーデー歌も歌われた。結局、同年77日に予定されていた皇太后の沼津行幸までに解決するというスケジュールの下、静岡県警察本部の指示で調停が進められ、76日までに総同盟持越支部の廃止(新たに従業員組合を結成)、会社が示していた退職金、和解金の総額10万円は13万円に引き揚げられて決着した。

 

②戦後

米軍占領時代

1945年に第二次世界大戦で敗北すると、アメリカ軍(GHQ)の占領下に入った。そのGHQの民主化政策の一つが労働組合の育成であった。また、戦時中に投獄されていたり、活動を沈静化させていた共産主義者や社会主義者、無産運動家、労働運動家が活動を再開し、労働運動は活発化、組織化した。特に1946年から1947年にかけて労働組合が相次いで結成され、46年の組織率は約40%、組合員数も約400万人に及んだ。現在ある組合の多くが何らかの形でこの時期に端を発したものである。また、激しいストライキが頻発し、暴力行為が伴うこともしばしばあった。

 

当初の労働運動は、インフレや産業荒廃を背景にした生活条件闘争がそのほとんどを占め、また全日本産業別労働組合会議(産別会議)など左派優位であった。それらの一番のピークは194721日に計画された二・一ゼネストで、官民合わせて数百万人が参加する予定だった。だが、GHQは「日本の安定のため」とこれを禁止。以降、反政府色の強い運動に対し制限が加えられることとなる。具体的には、1948年の公務員のストライキ禁止(政令201号)、1949年の労働組合法・労働関係調整法の改正、1950年のレッドパージや団体等規正令などである。このGHQの政策転換に右派系・中道系の組合の地位が相対的に強まり、また日本共産党の影響が強かった左派系の組合では共産党の影響を排除しようとする産別民主化同盟(民同)の影響が強まった。

 

1950年、民同勢力と右派勢力、中道勢力が合同して新しいナショナルセンター、日本労働組合総評議会(総評)を結成、その下に多くの組合が集結した。総評は中道・労使協調的な方向で設立されたはずだったが、朝鮮戦争や5198日にサンフランシスコ平和条約が調印されたことに伴う旧・日米安全保障条約を巡る運動、さらには朝鮮特需によって引き起こされた労働者へのしわ寄せから、労働運動が活発となり、総評は左派色を強めた。

 

③米軍占領終結から安保闘争まで

 

三井三池争議(1959)

1952428日にサンフランシスコ平和条約が発効、GHQの日本支配が終わる。日本の経済も拡大を見せるが、産業全般にわたる合理化も進められる。その中で左派系組合の運動が先鋭化し、炭労や電産などによる大規模ストが頻発する。これらの多くが失敗に終わり、組合の分裂が多く起こった。その象徴としては1954年の全日本労働組合会議(全労会議)の成立が挙げられる。

 

1955年頃からの神武景気などで国民生活も戦前並に回復し、「もはや戦後ではない」とまで言われるようになった。労働運動も生活条件闘争に加え、労働環境の改善、権利闘争も多く行われるようになる。その中で春闘が1956年に始まる。当初は総評と中立労連傘下の組合が中心となっていたが、1960年頃になると全労会議、新産別からの傘下も相次いだ。

 

1959年の三井三池争議と安保闘争、さらにそれらに伴う労働運動の盛り上がりとその敗北は労働運動に大きな転換点となった。三池争議は、総労働 対 総資本の闘いと言われた激しい争議の末に組合側が敗北しており、また安保闘争も激しい反対運動にもかかわらず日米安全保障条約の成立が強行されたことから、様々な対立が生まれた。これらへの反省などから、絶対反対から政策転換闘争へ、という方向転換が労働運動にもたらされた。高度経済成長に伴う生活水準の向上もこの流れを後押しした。

また、労働運動や学生運動とは性質を異にする市民運動が出てきたのもこの頃からである。これらはベトナム戦争反対運動や沖縄返還運動へとつながっていく。

 

④高度経済成長期

この頃は経済成長と春闘の定着で労働者の賃金は上がっており、雇用も安定していた。労働運動も労働環境の改善や権利闘争がその比重を増している。争議行為は数多くあったが、組合の運営などは比較的安定していたといえる。

 

⑤安定成長期

1973年の第一次オイルショックの影響で日本の高度成長が終わり、経済は戦後初のマイナス成長となり、経済構造に変化を与えた。これによって雇用情勢が悪化し、賃上げ闘争に代わって生活防衛闘争をするようになる。さらに経済が安定成長時代へと移ると、労働運動も労使交渉を重視する傾向になり、労使関係の安定化が進んだ。だがそれは、生活水準の向上などと相まって、労働者の組合離れを生むことになった。数字としても、1983年に全労働組合の組織率が30%を切り、右肩下がりの状態が続いていた。

 

このころから、女性労働者がパート・アルバイトとして多くの企業で活躍するようになったが、生協労連などを数少ない例外として、当時の多くの労働組合ではパート・アルバイトは組織化の対象にならなかった。このことは、1990年代以降の非正規雇用の増加のなかで、労働組合運動が労働条件の悪化に有効な手だてをとれないまま衰退を続けることにつながった。

 

⑥労働界の再編期(新保守主義の勃興)

労使交渉の重視という左派系組合の態度の軟化に伴い、労働戦線統一の機運が次第に高まっていった。そして1980930日、労働戦線統一推進会が総評と全労会議の後身である全日本労働総同盟(同盟)との間で結成された。労働戦線統一推進会による「民間先行による労働戦線統一の基本構想(のちの連合の綱領路線)」(1981年)は、「自由にして民主的な労働組合」の路線と「西側の一員」論の立場に立ち、国際自由労連(ICFTU)加盟、批判勢力の排除を求めた。総評は、従来方針を変えこれを容認し、合流を決めた。19821214日に全日本民間労働組合協議会(全民労協)が発足する。これにより、労働戦線と統一は早まり、19871120日には全日本民間労働組合連合会(全民労連、連合)が発足、19891121日にナショナルセンター四団体の統一組織である日本労働組合総連合会(連合)が発足した。これにより、単産単位での組合の組織統一も増え、規模の大きな組合が出てくる。

 

また、こうした動きを統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)は、特定政党排除の「革新分断」、賃上げ自粛や人減らし「合理化」容認の「労使協調」路線など特定の運動路線を踏み絵に、これを容認する組合だけを結集する「労働戦線の右翼的再編」と批判した。この再編の流れを右傾化と批判する組合が19891121日に全国労働組合総連合(全労連)、129日に全国労働組合連絡協議会(全労協)を相次いで組織した。連合結成の路線は批判勢力を排除する再編だったため、連合に合流する組合も全労連や全労協に合流する組合も、分裂した組合が数多くあった。

また、労働組合の組織率は低下の一途を辿っていった。

 

⑦ソ連崩壊から911テロ前まで

1989年秋の東欧革命から199112月のソビエト連邦の崩壊により、新保守主義を掲げる政財界は、「社会主義・共産主義は死んだ」「自由主義・資本主義は勝利した」と喧伝した。

 

バブル崩壊を迎えた日本は、それまでの日本型の安定雇用社会の変革が叫ばれ、1980年代のアメリカを襲った整理解雇ブームは「リストラ」「希望退職」という名で日本に持ち込まれた。1999年には派遣法が改正され、一部の業種を除いて労働者派遣を自由化、就職氷河期に見舞われた若年層を中心に非正規雇用の労働者が激増した。しかし資本側による攻勢に対して労働組合側の対応は後手後手に回っていた。労働組合の組織率、組合員数は共に減少はこれまで以上に加速する。組織率では2005年には19.9%となり、戦後初めて組織率が20%を切った。

 

本来労働者の権益を守るはずの連合加盟の労働組合は、主導的かつ効果的な反対運動を取れず、それに伴う組合員の減少も食い止められなかった。これは、労使協調路線によりむやみに現実離れした会社への要求はかえって会社の業績を悪化させ、ひいては労働者自らのクビを締めることになりかねないと判断されたからである。現場レベルでは、組合役員の出世と引き換えに、現場の要求がなかなか取り上げられないことになった。また、バブル期に入社した組合役員の子弟による役員の世襲化が進んだ事により、一般組合員との意識のずれも垣間見られた。

 

これにより、多くの労働者は個人での裁判に訴えるか、この時期多く出来た企業外の労働組合に個人で新たに入って、闘うしかなくなった(例、連合・全労連・全労協加盟などの地域ユニオン、ローカルユニオン、地域労組や産業別個人加盟労組・合同労組、青年ユニオン、管理職ユニオン等)。

 

失われた10年と言われる不況下にあって、正社員はサービス残業・成果主義の荒波に見舞われ、心身ともに疲弊した労働者のうつ病・過労死・過労自殺が増えたが、企業内労使協調路線の組合は、会社との友好関係を重視したため黙殺。さらに信頼を失った。

 

911テロ以後

近年の日本では、労働組合組織率の低い若年労働者を中心に、労働環境が悪化している。特に労働者の3人に1人にまで拡大したフリーターや派遣社員などの非正規社員の過酷な労働環境、フルタイムで働いても貧困から抜け出せないワーキングプアの存在が注目され始めた。こうしたなか、2007年の春闘では、連合が非正規労働者の労働条件改善を要求として掲げ、同年、非正規雇用労働者の労働条件改善、ネットワークづくりをすすめる「非正規労働センター」を開設した。

 

2008年のサブプライムローン問題、リーマンショック後の企業によるリストラで、多くの派遣社員、非正規社員が解雇されており、彼らに対して加入を勧める企業外労組(地域ユニオン、合同労組、産業別個人加盟労組など)が数多く現れているが、労働組合組織率の全体としての低下傾向は止まっていない。また、派遣切り問題が注目されたのをきっかけに、貧困問題への関心が高まり、年越し派遣村をはじめとして、ホームレス支援団体など、さまざまな市民団体と労働組合の共同運動が盛んに展開された。

 

2.労働組合の構成形態

組合がどの範囲の労働者を組織対象とするかは歴史的な変遷がみられるし、現在でも多様である。組合員資格をどのように定めるかについては、法的な諸々の保護の関係で一定の制約を受けるほか、原則として組合の自治に委ねられている。主たる組合員の構成によって、以下のように分類される。

 

    職能組合

職能組合(craft union)は労働組合の最も古典的な形態で、同一職種の熟練工によって組織される。

 

初期の職能組合は、地域的もしくは全国的な熟練労働力の独占によって、労働条件の引き上げを図る点に特徴があった。そこでは、具体的な労働条件について組合員間で協定を結び、それを強い統制によって労働者に遵守させると同時に、その条件に同意しない使用者のもとでの労働を拒否することが、労働条件引き上げの主たる手段であった。きわめて強力な組織形態であるが、産業の発展により大量の未熟練工が輩出するようになると、労働力の独占を維持しにくくなる[10]

 

今日の欧米諸国における職種別組合は、職能組合の発展したものであるが、団体交渉・争議行為を労働条件改善の主たる手段としている。

 

②産業別組合

産業別組合(industrial union)は職種別組合が次第に統合され、職種のいかんを問わず、同一産業に属する労働者をすべて組織対象にするようになったものである。今日の欧米諸国における最も代表的な組織形態である。

 

産業別組合では争議行為を含む団体交渉が目的達成の主たる手段となる。団体交渉は様々な次元で行われるが、最も代表的な形態は産業別組合と産業別使用者団体との地域的もしくは全国的な交渉である。この場合、団体交渉での合意を記録した労働協約は、通常、当該産業における一種の法規範のような役割を果たす。それを最低基準として、各企業単位で上積みを図るのが通常であり、協約賃金と企業別賃金との格差は賃金ドリフトと呼ばれる[10]

 

日本における代表的な産業別組合としては全日本海員組合などがあるが、日本では産業別組合は例外的な存在でしかない。

 

③企業別組合

企業別組合(enterprise unioncompany union)は事業所もしくは企業を単位として、職種に関わらず、そこに属する労働者を一括して組織する形態である。

 

日本では大部分の組合がこの形態をとっている。欧米諸国では使用者が組合に対抗するために結成した企業別組織(黄色組合)との闘争という歴史から、企業別組合はほとんどみられない[10]。産業別組合と比較すると、当該企業の実態に合った労使交渉が行われる反面、団体交渉の成果が当該企業内のみに留まるため、交渉に企業間競争を促す力が弱い。組合が企業意識に支配されやすく、企業間競争が激化するにしたがって、他の労働組合と連帯して行動するよりは、使用者と協力して企業の繁栄に努めるという行動をとりがちになる。その結果、労働条件の平準化という組合本来の機能の発揮において大きな限界をもつことになる。また、企業別組合においては、失業者を含む産業分野の労働者全体への関心が稀薄になる。

 

日本の企業別組合においては、組合員の資格を当該企業の従業員(特に、正社員であって一定以上の役職者でないこと)に限るとすること(いわゆる逆締付条項)を規約で定める組合が多い。

 

ジェイムズ・アベグレンが著書『日本の経営』(1958年)で、企業別労働組合を終身雇用、年功序列とともに、「日本的経営の三種の神器」であると示した。

 

④単位産業別労働組合

企業別組合では対応できない課題に対応するため、企業別組合が産業別に集まった連合体。通称、単産(たんさん)。

 

⑤一般組合

一般組合(general union)は職種・産業のいかんを問わず、すべての労働者を組織対象とするものである。

 

19世紀末以来、イギリスにおいて非熟練工を組織するための形態として発展してきた。日本においては、零細企業に分散している労働者や、パートタイム労働者・派遣労働者・管理職など、企業別組合から事実上排除されている労働者を組織化するためにとられる形態である。

 

⑥合同労働組合

「合同労働組合」も参照

合同労働組合は企業別組合に組織しにくい労働者を地域ごとに個人加盟原則によって組織する点に特徴があるが、その組織形態は多様であり、産業別組合、職種別組合、一般組合などの形態をとる。一般組合の中にも、主要な産業別の労働者を主たる組織対象としつつそれ以外の労働者にも広げるものと、文字通り職種・産業を問わず広く労働者を組織する組合が存在する。

 

一般に中小零細企業では使用者の権力が強く、企業別組合さえ組織しえない場合が多い。1955年(昭和30年)の総評大会では、このような中小零細企業における組織化を方針として掲げ、それ以来合同労働組合の結成が推進されてきた。

 

3.ショップ制

労働組合と使用者との労使関係には、様々な形態がある。ここで言う「ショップ」とは、労使間で様々な約束事や取り決め事を交わす「協定」の意である。

 

日本では、その事業所で組織される労働組合が同事業所の労働者総数の過半数を代表する場合において、その組合の組合員であることを雇用条件とする労働協約を締結することができる(労働組合法第7条第1号但書)。

 

英国ではEU指令が出される以前に、1980年代のサッチャー政権によってクローズドショップ制とユニオンショップ制が規制された。

 

①オープンショップ制

使用者が労働者を雇い入れるに際し、特に組合員であることを雇用条件としていないものである。基本的に組合員とそうでない者との労働条件等の処遇の違いは無い。

 

日本では、国家公務員・地方公務員の「職員団体」(民間企業の労働組合に相当)については、オープンショップでなければならないとされている(国家公務員法第108条の52項、地方公務員法第55条第2項)。

 

②クローズドショップ制

使用者が労働者を雇い入れるに際し、組合員から雇用しなければならないとする制度である。労働者が組合員である資格を失った時は使用者はその労働者を解雇しなければならない。この制度は産業別労働組合が存在する国々に見られるが、日本では見られない。

 

アメリカ合衆国では、タフト・ハートレー法によってクローズドショップ制を禁止している。

 

③ユニオンショップ制

使用者が労働者を雇い入れるに際しては、組合員であってもそうでなくても構わないが、労働者は入社後、組合規約で定めた期間内に組合員にならなければならないとする制度である。期間内に組合員にならなかったり、あるいは後に組合員たる資格を失った時は、使用者はその労働者を解雇しなければならない。日本の大手企業に存在する主な組合に見られる。通常は当該組合を労働者の唯一の交渉代表として承認する「唯一交渉団体条項」と一緒に締結されることが多い(これにより、当該組合は使用者によって、全労働者が当然に加入する当該企業で唯一の組合としての地位を認められる)。但し、実際はいわゆる「尻抜けユニオン」という体制が敷かれていることが多く、組合員である資格を失っても雇用については別途労使間で協議し、決定することが多い。従って、組合を脱退したからと言って必ずしも退職しなければならないことはない。

 

日本においては、過去の判例で、ユニオンショップ協定下において組合から脱退した場合において、労働者の組合選択の自由及び他の組合の団結権を侵害する場合には、使用者の解雇義務は公序良俗に反し無効とされ、他の組合に加入した労働者は解雇されない。また、過去に組合を辞めない旨を特に合意していた場合でも「組合員は脱退の自由を有する」とされている。したがって組合の内部抗争において執行部派が解雇をちらつかせて反執行部派を抑え込むことは、事実上できなくなっている。

 

アメリカ合衆国では、州によっては労働権利法(Right-to-work law)を適用し、ユニオンショップ制を禁止している。

 

④エイジェンシーショップ制

労働組合への加入は労働者の意志によるが、組合員でない者でも、団体交渉にかかる経費と苦情処理にかかる経費を会費として支払わなければならない。ただし、組合員でない者はそれ以外の経費(ロビー活動にかかる経費や、組合員のみに与えられる特権の経費など)を支払う必要はない。

 

4.各国の状況

①日本

日本における組合加入率は16.8%2019年)であった。団体交渉は、主に地方または会社レベルで行われている。

 

    アメリカ合衆国

 

米国では、組織率は1983年に20.1%の割合を占めて以降、徐々に低下しており、2012年の時点で11.3%となっている。組織率低下の要因として、国際競争が激しくなった結果、特に鉄鋼や自動車産業の工業部門において、かつては組合員によって行われていた仕事が人件費の安い海外で行われるようになったこと、生産の自動化によって、製造ラインで一部の労働者が必要無くなったこと、更に組合の力が強い州に所在する多くの企業が、労働権法が制定されていて組合がほとんど存在しない州に工場を移転したことなどが指摘されている。

 

公共部門と民間企業を比較した場合、公共部門の労働組合の組合員数は民間企業の5倍以上に達する。なお、日本とは異なり、警察や消防にも労働組合は存在する。

 

労働組合は、内部労働者の利益(職の維持)のために、そのコストを外部労働者・財やサービスの消費者・企業の株主に押しつけていると非難されている。公教育の分野においては、教師組合は、若い教師を辞めさせるよう仕向けることで、学校関係者に支持される老年教師ばかりになり、そのために優秀な教師が減ってきていると非難されている。

 

アメリカのマクロ経済学者ミルトン・フリードマンは「労働組合は不要である」として「労働組合が組合員に対して獲得する賃上げは、主として組合の外にいる他の労働者の犠牲においてである」という言葉を残している。ある職種・産業において労働組合が賃上げに成功すると、その分野での雇用は減ることになり、結果としてその分の雇用が市場に放出されることで、他の産業・労働者の賃金が押し下げられる。結果として高賃金労働者の賃金は上昇し低賃金労働者の賃金は下落することで、賃金格差を拡大させるという。

 

③中華人民共和国

 

中国においては、「工会」(zh:工会)と呼ばれており、「共産党の指導を受ける」ことが基本とされている。中国国内の企業(外商投資企業を含む)、事業単位、機関及びその他の社会組織の主に賃金収入により生活する労働者は、民族、人種、性別、職業、信条、教育程度を問わず、中国工会全国代表大会が定めた「中国工会規約」を承認すれば、全て「工会」に加入し、組合員となることができる。したがって従業員だけでなく、経営者も労働組合に加入することが可能となっている。

ユーチューブ動画のご案内

2023年7月24日(月)録画 

労働組合とは(その歴史と構成形態) 45分25秒

ホームページ: http://www.inokyuu1125.jp/16901685749094

ユーチューブ動画 https://youtu.be/fR76Q7HmZZM

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