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稲盛和夫記念講演未来を生きる君たちへ「君の思いは必ず実現する」

はじめに

致知2021年4月号 表紙

稲盛和夫様の2014年10月4日、母校、鹿児島県玉龍高校での記念講演「君の思いは必ず実現する」をご紹介させていただきます。私事で恐縮ですが、私は行政書士試験は3回落ちて4回目に、社労士試験は4回落ちて5回目に合格することができ、今年の4月1日に開業し、今日があります。稲盛様が提唱される「思い」の大切さとその力は、間違いなく、自分の夢を実現させることができる原動力であると確信しております。一人でも多くの方に知っていただきたく、2021年致知4月号に掲載された講演をご紹介申し上げます。

致知 人間学を探究して四十三年|致知出版社 (chichi.co.jp)

 

 

京セラ名誉会長 稲盛和夫
特別講話「未来に生きる君たちへ」
(平成26年10月4日 鹿児島玉龍高校)

京セラ名誉会長 稲盛和夫

いなもり・かずお昭和17年鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業、34年京都セラミック(現・京セラ)を設立、社長、会長を経て、平成9年より名誉会長、昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、27年より名誉顧問。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。また、若手経営者のための経営塾「稲盛塾」の塾長として、後進の育成に心血を注いできた(令和元年12月に平塾)。著書に人生と経営』『「成功」と「失敗」の法則』『成功の要諦、共著に何のために生きるのか(四六判・新書判(いずれも致知出版社)など。

君の思いは必ず実現する

平成26(2014)年10月4日、稲盛和夫氏は講演のため、

母校である鹿児島県玉龍高校を訪れた。久しぶりの母校で在校生を前にした稲盛氏は、自らの人生経験や経営経験を踏まえながら、「君の思いは必ず実現する」というテーマで人間の持つ「思い」の力の強さ。大きさ、素晴らしさを生徒たちに向かって熱く真剣に語りかけた。高校生のみならず、未来に生きるすべての人に指針となる人生の要諦を説いた名講演をここに紹介する。

すべては自分の「思い」がつくり出している

本日は、「君の思いは必ず実現する」というテーマで、人間が心に抱く「思い」がどれくらい素晴らしい力をもっているということについて、お話していきたいと思っています。

 なぜなら、私はこれまでの82年にわたる人生を通じて、心にどのような「思い」を抱くかで、人生そのものが決まっていくのだということを幾度も経験してきましたし、そのことはこの世の真理であると確信しているからです。

 それでは、まず人間が「思う」ということは一体どういうことなのか、ということから考えてみたいと思います。

 我われは一般に、物事を論理的に組み立てたり、頭で推理推論したりすることが大切であり、「思う」ということは誰にでもできることなので、たいしたことではないと捉えています。しかし、この「思う」ということは、論理的に推理推論したりすることよりも遥かに大事なものなのです。われわれが生きていく中で、この「思う」ということほど大きな力を持つものはないと私は信じています。

 きょうお集まりの在校生の皆さんも、勉強ができる、頭がよいということが大事であると思われているかもしれません。もちろん、それもとても大事なことですが、心にどのようなことを「思う」かということはそれよりも遥かに大事なことです。しかし、そのことに多くの人は気が付いていません。実は、この「思う」ということが、人間のすべての行動の源、基本になっているのです。

 そのことは、二つの側面から捉えることができます。まず、我われが毎日の生活を送る中で抱く「思い」の集積されたものが、我われの人間性、人柄、人格をつくり出しています。「自分だけよければいい」という、えげつない「思い」をずっと巡らせている人は、その「思い」と同じ、えげつない人間性、人柄、人格になっていきます。逆に、思いやりに満ちた優しい「思い」を抱いている人は、知らず知らずのうちに。思いやりに溢れた人間性、人柄、人格になっていきます。

 「思い」というものは、ことほどさように非常に大きな影響を我われに及ぼしているわけです。

 さらに、「思い」はもう一つ、大きな役割をもっています。それは、「思い」の集積されたものが、その人に合ったような境遇をつくっていく、ということです。あるいは、「思い」の集積されたものが、その人の運命をつくっていると言っても過言ではありません。

 いまから百年ほど前に活躍したイギリスの哲学者ジェームズ・アレンは、「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」と言っています。

 その人の周囲に何か起こっており、現在そんな境遇にあるのか、それはまさに、いままでその人がずっと心に抱いてきた「思い」の集積されたものです。ですから、「私は不幸な運命のもとに生まれた人間なんだ」と僻んだところで、何の意味もありません。その運命は他人が押しつけたものでもなければ、自然がもたらしたものでもなく、他でもない自分自身の「思い」がつくり出すものだからです。

 家族との関係、隣人との関係、仲間同士との関係など、人間関係のすべては自分の心の反映なのです。「自分の周りには意地悪な人、騙したりする人、悪さをする人がたくさんいる」と我われはついつい思ってしまうのですが、それも自分自身の心の反映なのです。

 多くの宗教家や聖人、賢人が皆そういうことをおっしゃっているのですが、誰も自分が抱く「思い」にそれほど大きなパワーが秘められているとは信じていません。しかし、信じていなくても、実際には人生の結果も、人間関係も、地域社会との関係も、すべては自分の「思い」がつくり出しているものなのです。   

「思い」が人類を進歩させてきた

 このように、「思い」には我われの人間性、人柄、人格が形成していくという面と、我われの境遇、周囲の環境をつくり出していくという面の二つの側面があるわけですが、さらに「思い」が持つ偉大なる力を端的に示しているのが、現在の文明社会の成り立ちです。

 いまから、約二百五十年前にイギリスで起こった産業革命を機に、人類は近代的な文明社会を築いていきました。それは、人類の「思い」から生まれたものです。

 もともと人類は、木の実を拾い、魚を獲り、獣を捕まえる狩猟採集の生活を行い、自然と共生していました。しかし、いまから一万年ほど前に、人類は自分たちで生活手段を持ち、穀物を栽培し、家畜を養って食べるという、農耕牧畜の時代へと移っていきました。狩猟採集の時代には、自分たちの意志だけで生きていくことはできませんでした。それが農耕牧畜によって自然の掟から離れ、自分たちの意志で生きていけるようになったのです。

 そして、およそ二百五十年前に産業革命が起こしました。人類は蒸気機関を手に入れ、工場で多くの機械を使い、様々な製品を生産するようになりました。それからというもの、次から次へと発明・発見を行い、科学技術が著しく進歩し、今日の素晴らしい文明社会がつくられていきました。悠久の歴史の中で、僅か二百五十年という短い時間に、人類は豊かな文明社会を築き上げたのです。

 なぜ、これほどまでに科学技術が発達してきたのでしょうか。それはとりもなおさず、人間が本来持っている「思い」というものがもとになっています。

 人は誰でも、「こうしたい」「こういうものがあったら便利だ」「もしこういうことが可能ならば」という「思い」が心に浮かんできます。

 例えば、いままで歩いたり、走ったりしていたところを、「もっと速く、便利に移動する方法はないだろうか」と思い、そこから「新しい乗り物が欲しい」という夢のような「思い」を抱くようになります。そして、その夢のような「思い」が強い動機となって、人間は実際に新しいものをつくっていきます。何度も失敗を繰り返しながら、新しい乗り物をつくり出していくのです。そのようにして、ある人は自転車というものを考案しました。またある人は自動車を発明し、またある人は飛行機をつくりました。

 そういう具体的なものを発明し、つくっていく際には、頭で考え、研究しなければなりませんが、その発端となるのは、心の中にフッと湧いた「思いつき」です。一般には、よく「そんな思いつきで、ものを言うな」と言われるように「思いつき」というのは軽いことだと思われがちです。しかし、実はその「思いつき」こそが非常に大事なのです。人の心に浮かんだ様々な「思いつき」が発明・発見の原動力となり、今日の科学技術を生み出したのです。

 このように、「思う」ということは物事の出発点となります。人間の行動は、まず心に「思う」ことから始まるわけです。この「思う」ということがなければ、

人間は何も行動を起こすことおができません。多くの人は、「思う」ことを簡単なことだと捉え、軽んじていますが「思う」ことほど大事なものは他にありません。

利己心と利他心

 次に、ではその「思い」が芽生えてくる人間の心というのはどうなっているのか、ということを考えてみたいと思います。私は人間の心は二つのものから成り立っていると考えています。皆さんの心の中を覗いてみると、実は二つの心が同居しているのです。

 一つは、「自分だけよければいい」という欲望に満ちた利己的な心です。人間は自分の生命を維持していくためには、食事をしなければなりません。寒さを防ぐ衣服も着なければなりませんし、雨風を防ぐ家にも住まなければなりません。そういう自分自身が生きていくのに必要な欲望を一般には本能と言いますが、その本能をベースにした「自分だけよければいい」という利己的な心を誰もが持っています。

 もう一つは、「他の人たちを助けてあげたい」「みんなに親切にしてあげたい」という利他の心です。利他とは「他を利する」と書きますが、そういう優しい心も、人間は心の中に誰しも持っています。

 つまり、その人の心の中にも、利己と利他の二つの心が同居し、存在しているわけです。そして、そのどちらの心が自分の心の中で大きな割合を占めるのか、ということが大切になってきます。例えば、「自分だけよければいい」「もっと贅沢をしたい」という欲望に根差した利己的な心が非常に大きな割合を占めている人がいます。

 一方、生きていくのに必要な最低限の利己的な心は持っているけれども、それよりも「友達や兄弟と仲良くし、人に親切にし、皆のために尽くしたい」という、優しい思いやりに満ちた利他の心のほうが大きな役割を占めている人もいます。

 この同居し、せめぎ合う人間の二つの心ということで思い出すのが、ノーベル文学賞を受賞したインドのタゴールという有名な詩人の書いた次のような詩です。私はただ一人、神様のもとにやってきました。

 しかし、そこにはもう一人の私がいました。

 その暗闇にいる私は、一体だれなのでしょうか

 私はこの人を避けようとして、脇道にそれますが、

 彼から逃れることはできません

 彼は大道を練り歩きながら、地面から砂塵をまきあげ、

 私が慎ましやかにささやいたことを大声で復唱します

 彼は私の中の卑小なる我、つまりエゴなのです

 主よ、彼は恥を知りません

 しかし、私自身は恥じ入ります

 このような卑小なる私を伴って、あなたの扉の前にくることを

 彼はこの詩の中で、利他的な、優しい思いやりに満ちた心を持った自分と、薄汚く、意地悪で、すぐに怒ったりする、自分だけよければいいという強欲な心を持ったもう一人の自分とが同居しているということを、うまく表現しています。私自身はできるだけ美しい心で生きたいと思っているのに、薄汚いもう一人の私が自分から離れようとせず、どこまでもついてくる。これは自分の心の中に同居しているわけですから、離れていくわけがありません。そのことを神様の前で恥じていると言っているのです。

 

心は自分で手入れしなければならない

 では、この自分だけよければいいという利己的な心を抑え、利他的な美しい心を発揮していくには、どうすればよいのでしょうか。そのことについて、先ほど紹介したイギリスの哲学者ジェームス・アレンは、人間の心を庭に例えて次のように表現しています。

 人間の心は、庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。

 もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。

 同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなければなりません。

 このようにジェームズ・アレンは言っています。つまり、人間の心というものは、自分で手入れしなければならないのです。放っておいたのでは、雑草が生い茂る庭のようになってしまいます。すばらしい草花が綺麗に咲いた庭のような美しい心にするためには、自分の心の状態をよく確認して、手入れをする必要があるということを彼は説いています。

 雑草の生い茂る心のままに人生を生きていったのでは、人柄もひねくれた意地悪な性格の人間になっていきます。同時に、そういう悪い人間性を持った人の周囲には、その人間性に合ったように、波乱万丈で困難なことが次々起こってくるようになります。

 一方、先ほども言いましたように、綺麗な美しい心で生きていく人は、素晴らしい人間性、人柄、人格になると同時に、その人の周囲にも、その人間性、人柄、人格にあったような素晴らしい出来事が起こってきます。仕事も順調にいき、会社も繫栄し、豊かで平和な家庭が築けるといったように、素晴らしい環境が周囲にできてくるわけです。心に抱く「思い」というものは、それほど偉大な力を持っているのです。

 皆さんはいま、将来に向けて学校や塾で一生懸命に勉強していらっしゃると思います。もちろん、それもとても大切なことですが、さらに大事なのは、いまお話した心の手入れ、心の整理なのです。

 私は、「自分だけよければいい」という利己的で邪な心をなるべく抑え、思いやりに溢れた美しい利他の心が自分の心の大部分を占めるように、心の庭を手入れしていくようにしなければならないと言いました。実は、この自分の心を綺麗にするということは、宗教家の方々が修行や荒行を通じて行っておられます。厳しい修行を通じて自分を鍛え、心を整えるようにしておられます。

 ですから、ともすると、心を美しく綺麗なものにしていくということは、一般の我われが行うことではなく、宗教家の仕事のように思われがちです。しかし、決してそうではありません。

 いま、こうして生きている誰もが、自らの心を美しいものにしていくことが、その人の人生にとって大変大事なことだということに気づき、「思い」が発するベースである心を綺麗にすることに努めなければなりません。 

心に抱いた「思い」を信念にまで高める

 綺麗で美しい、「思い」を持つことに加えて、もう一つ我われが行うべきことがあります。それは、強烈な願望を心に抱き、「思い」を信念にまで高めることです。

 私は冒頭に、きょうの講演のテーマが「君の思いは必ず実現する」ということであると言いました。つまり、「こうしたい」「ああしたい」というその「思い」は、必ず実現させることができると言っているわけですが、「思い」を実現させるためには、寝ても覚めても思い続けるくらいの強烈な「思い」でなければなりません。

 私たちはあらゆる物事を行う上で、まずは「こうありたい」「こうしたい」といった「思い」を抱きます。そのほとんどは、心の中にフッと浮かんだ「思いつき」ですが、それを「何としても成し遂げたい」という強烈な願望によって、信念にまで高められたものにしなければならないのです。

 自分たちがやろうとしていることが、どう見ても不可能と思えるようなものであれば、「そんなことできるわけがない」と、誰もが言います。しかし、そのような声に動かされることなく、「いや、それでも私は何としてもやりたいのだ」という信念に伴った「思い」が、まず先にこなければなりません。その上で、今度は一生懸命頭を使って、「では、どうすればやり抜くことができるのか」と、具体的な戦略・戦術を練っていけばいいのです。

 つまり、新しい試みが「実現できないのではないか」というような疑念を一切払拭しなければならないということです。多くの人が「こうしたい」と思っていても、すぐに「このような難しい条件があり」などど、後ろ向きに考え始めるものです。

しかし、「こうありたい」という「思い」には、いささかなりとも曇りがあってはならないのです。

 特に何か新しいこと、困難なことに取り組むときほど、少しでも「これは難しいな」と思ったら、絶対にことは成就しません。「どうしてもこれは実現しなければならない」という強烈な「思い」だけを抱き続ける必要があるのです。

 例えば、よく物知り顔の大人が使う「そう思うけど、実際には難しい」というような、否定的、後退的なニュアンスを含む言葉などは絶対に口に出してはなりません。そのような疑念がもたげてきたなら、すぐに払拭するように努めることが大切です。

 自分の可能性をただひたすらに信じて、単純にその実現を強く思い続けるだけでいいのです。何も心配することはありません。人間の「思い」というものは、我われの想像をはるかに超えて、凄まじいパワーを秘めているものなのです。まずは一切の疑念を持たず、「何としてもそれを実現したい」という強烈な「思い」を抱くことが何よりも大切です。そうすることで、実際に「思い」は必ず実現していくのです。 

中村天風の教え「不屈不撓の一心」

 そのことを見事に説いている中村天風さんというヨガの達人の言葉があります。皆さんはご存じないかもしれませんが、いまから百年ほど前に、インドで修行をしたヨガの達人で、その後、日本で銀行をつくり、いろいろな事業を起こして、すべてを成功させていかれた方です。その天風さんは次のように「思い」の大切さを説いています。

 新しい計画の成就は

 只不屈不撓の一心にあり

 さらば、ひたむきに只想え

 気高く強く一筋に

 新しい計画を立てて成功させたい、自分は思っている「思い」を実現したいと思うのならば、不屈不撓の一心、つまり「どんなことがあっても決して諦めない心」で必死の努力をしなければなりません。他のことは何も考えないで、自分はこうしたいという一点に「思い」を定めて、ひたむきに思いを続けなさい。それも気高く強い心、純粋で美しい心で、一直線に思い続けなさい。そうすれば成就しないものはないと、天風さんは言っておられます。

 そのようなに天風さんが確信するようになったのには、天風さん自身の人生経験も関係しています。簡単ですが、ここで少し天風さんの経歴について紹介してみたいと思います。

 天風さんは若い頃、もう死ぬかもしれないという重い肺結核にかかってしまいました。肺結核には、肺が破れてのどから血を吐くという症状があります。天風さんは毎日血を吐きながら、もう助からないと思い、肺結核を治そうとアメリカに渡り、その後、ヨーロッパに渡しました。しかし、結局は自分の結核は治らないと気づき、どうせ死ぬのならせめて生まれ故郷の日本に帰ってこようとします。その途中、エジプトのカイロの港で、ヨガの聖人といわれる人に出会うのです。

  それは偶然の出来事でした。カイロの港に貨物船が着いて、いつも暗い船倉の中で吐きながら、いつ死ぬかもしれないと思っていた天風さんに、ある船員が「いつも日の当たらない暗い船倉にいたのでは、ますます病気が悪くなっていく。港に泊まっているから、きょうくらいは外に出て日に当たったらどうだ」と言ったのです。

 そして、港に上がって、あるホテルのレストランでスープを飲んでいると、向こうのほうにターバンを巻いた人が座っていて、お付きの人が大きな団扇で扇いでいます。それを見るともなしに、ぼんやりと見ていると、何かを食べようとしているそのターバンを巻いた方の周りに大きな蠅がブンブン飛んでいます。すると、ターバンを巻いたその方は、箸でいとも簡単に飛んでいる蠅を掴み、横のチリ箱に捨てました。

 「あのすばやい蠅をいとも簡単に箸で捕まえるとは、不思議なことがあるものだな」と思って見ていると、ターバンを巻いたその方が「おまえ、こっちへ来い」と手招きをしました。その方のもとに行くと「おまえさんは胸に肺結核という重病を患って、日本に帰って死のうと思っているね」と、まさに心の底まで見通しているかのようにずばり言い当てられました。「しかし、おまえさんはまだ死ななくいいのだよ。私はいまからインドに帰るので、もしよければ私についていらっしゃい」と言われて、何も考える間もなく、「はい、分かりました」と言って、その方についていきました。

 その方はインドのヒマラヤでヨガの聖人と言われていた有名な方でした。その方に出会って、天風さんはインドのヒマラヤ山中に連れて行ってもらい、その方の指導で、朝から晩まで瞑想をし、ヨガに修行に励みました。すると、修行をすること二年半、もう治らないと思っていた重症の肺結核が見事に回復してしまったのです。

 近代医学では、結核は十分な栄養をとらなければ回復しないと言われていました。インドのヒマラヤの山中では、修行中に食べられるものといえば、粗末な食事しかありません。お米はもちろんなく、麦や稗、トウモロコシといった粗末な食料を少し加工したものを少量だけ、毎日食べていました。

 そんな粗末で栄養価の低い食事では、結核が治るはずがない。却って悪くなっていくはずです。しかし、そういう生活をしているはずなのに、見事に結核が治ってしまったのです。そして、ヒマラヤの楊中の岩の上で毎日朝から晩まで座禅をしているうちに素晴らしい境地に達して、天風さんは悟りを開かれて日本に帰ってこられました。

 日本に帰ってきた天風さんは、その後、自分が思っていることをすべて実現していかれました。銀行の頭取を務めるなど、実業界で次々に成功を収めるられると同時に、自身が体得した心の大切さについて、世間に広く説いていかれましいた。そしてその中で、先ほど紹介した言葉を残されたのです。もう一度読み上げさせていただきます。

 新しい計画の成就は

 只不屈不撓の一心にあり

 さらばひたむきに只想え

 気高く強く一筋に

私は若い頃に、この天風さんの教えに感銘を受けて、それに従って会社経営を行ってきました。この言葉を、自分自身の心に強く持ち、また社員全員に言い続けてきたのです。社員皆がそのような「思い」になって懸命に頑張ってくれた結果が、私が徒手空拳から成長発展させた今日の京セラであり、KDDIであり、また、私が再建に携わってきた日本航空という会社です。 

京セラとKDDIの創業期を振り返って

最後に、その三つの会社経営で、いかに「思い」というものが大きな力を発揮したのかということについて、お話したいと思います。

 私は、1951年、玉龍(ぎょくりゅう)高校の第1回卒業生です。その後、鹿児島大学へ進み、1955年に卒業しました。卒業の年は戦後まだ10年しか経っておらず、大変厳しい経済環境でした。また、朝鮮戦争が終わった直後で、社会的には厳しい就職難の時代でもありました。

 特に私のように地方の新設大学を卒業した者にとっては、いい会社に就職するどころか、なかなか就職先が得られないという時代でした。私も大学の教授の紹介等で数社の企業を受けましたが、縁故がないためなかなか採用してもらえません。戦後十年で世相も大変荒んでいたせいもあり、やけになって「どうせいい会社に入れてもらえないなら、インテリヤクザにでもなってみようか」とさえ、真剣に考えたくらいです。

 そういう斜に構えた気持ちでいた私に、大学の恩師が電力用の送電線の碍子という絶縁材料をつくっている京都の会社(松風(しょうふう)工業)を紹介してくださいました。大変厳しい就職難の時代でしたが、何とかその会社に採用していただくことになりました。しかし、その会社は大変貧乏で、潰れかかっていました。給料も給料日には出ないような業績の悪い会社でした。

すぐに私は「辞めたい」と思いましたが、どこに行く当てもありません。行くところがないものですから、給料が遅れて出るような会社で、命じられた研究に打ち込みしか方法がありませんでした。

 その会社の研究室には十分な機械や器具もありません。粗末な研究施設やでしたが、私は一生懸命、いままで日本にはなかったファインセラミックス材料の開発に打ち込みました。本当なら、そのよう難しい研究開発は、私の能力や経験からいってとてもできるものとは思えませんでした。

それでも、自分で実験室に鍋や釜まで持ち込み、朝、昼、晩と粗末な食事をつくって自炊し、そこで寝起きをしながら、昼も夜もなく、新しいファインセラミックス材料を何としても開発しようと、自分の能力以上の目標に向かって懸命に努力をしていきました。

最初は、自分からそうしようと思ったのではありません。会社が決めた研究開発でしたが、それを「何としてもやり遂げたい」という自分の「思い」に変えて、さらには「自分の研究で、潰れかかった会社や仲間を救ってあげたい」という「思い」にまで高めて、研究開発に打ち込んでいった結果、日本で初めて、世界でも二番目に新しいファインセラミック材料の合成に成功したのです。つまり、「何としてもやり遂げたい」という強い「思い」、また、「会社や仲間を救ってあげたい」という善き「思い」を持って研究開発に全力をあげて取り組んだ結果、難しい研究開発に見事成功することができたのです。

京セラを創業してからも同じように、そうした「思い」を持って、次から次へと新しい材料、新しい製品を開発し、また新しい事業をつくり出していきました。それは、社員のために、何としても素晴らしい会社をしなければならないという「思い」を持って、一生懸命に取り組んでいったからに他なりません。そうすることで、一流大学の出身ではなく、鹿児島大学という地方の大学を卒業し、能力では決して優れていたはずのなかった私が経営する京セラが、今日では年間で一兆四千億円を超える売り上げを誇る規模にまで成長発展することができたわけです。

 また、現在携帯電話事業などを手掛けるKDDIという会社も、私の「思い」から生まれた会社です。いまから三十年ほど前に、電気通信事業の経験も知識もなかった私は、当時の電電公社、現在のNTTという、明治以来の巨大企業に挑戦しました。当時はNTTが一社独占をしていたため、非常に高い通話料金でした。それを何とか安くして、国民の通話料金の負担を軽くしてあげたいという強い「思い」で始めたわけです。

 当時は京セラもまだ小さく、巨大なNTTに挑戦することは全く無謀だと世間で思われていました。日本中の大手企業も、「相手はNTTで四兆円という大きな売り上げをあげ、明治以来、国のお金で日本中の家庭に電話線を引いた巨大企業だ。そのような相手に挑戦することは、ドン・キホーテのようなものだ」と考え、誰もが尻込みしていました。

 しかし私は、国民が払う電気通信料金をもっと安くしてあげたい、そのために何としてもこの事業を成功させたいと強く思いました。「国民のために、何としても通信料金を下げてあげなければならない」という強い「思い」を持って、経験も知識もない仕事に取り組もうと考えたのです。その時私は、「動機善なりや、私心なかりしか」と、半年間くらい自分自身に問い続けました。

 つまり、「おまえがNTTに対抗して新しい会社をつくりたいと思っている。その動機は利他の心、優しい思いやりの心から出たものなのか。そこには、自分だけが金儲けをしたい、京セラをもっと有名にしたいという私心、自分自身の利己的な考えはないのか」ということを「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉で自分に問うていったのです。そして、動機は善であり、決して私心はないということを確信してから、一気呵成に電気通信事業へ参入していきました。

 そのように、利他の心、つまり善き「思い」を持って一生懸が命に努力することで、いろいろな人の支援、また協力をいただくことでき、KDDIは順調に発展していきました。いまでは日本全国で多くの方々がauの携帯電話を使ってくださっており、KDDIは売上高四兆三千億円を誇る巨大な会社へと成長を遂げることができています。

 電気通信事業の経験も技術も何もない私の、「国民のために通信料金を安くしてあげたい」という「思い」から始まった会社が、このような素晴らしい発展を果たすことができたのは、まさに「思い」の持つ偉大さ、「思いは必ず実現する」ということを証明する事例だと確信しています。 

JALを再建した社員の「思い」

 もう一つ、最近の事例があります。それは日本航空の再建です。日本航空も人の「思い」を変えることで再生することができたのだと私は考えています。

 2009年の年末、私は政府から「日本航空が倒産しかけている。債権のために日本航空の会長に就任してほしい」と、強い要請をいただきました。私は航空業界には全くの素人であり、また高齢でもあります。引き受けてよいものかどうか、大変悩みました。私の友人や知人、そして家族の誰もが大反対でした。「晩節を汚すのでは」と心配してくれる人も多くいました。

 考え悩んだ末、「世のため人のために役立つことを成すことが、人間として最高の行為である」という私の若い頃からの人生観に照らし、またこれから申し上げる三つの理由からも、最終的にはお断りすることも叶わず、日本航空再建の要請を引き受けることに決めました。

 ただし、高齢であるため、当初は「フルに勤務することはできないだろう。だから、週に三日ほどの勤務になる」と申し上げました。京都に自宅があり、家内もそこに住んでいることから、引き受けるとなればホテル住まいになってしまいます。そのことも理由になって、「週に三日くらいなら勤務できるだろう」と申し上げたわけです。同時に、「週に三日の勤務ですから、給料は要りません」と申し上げ、日本航空の会長職を引き受けさせてもらいました。

 お引き受けすると返事をしたものの、航空業界には全くの素人です。確かなものは何も持ち合わせていません。新聞雑誌でも、「誰がやっても日本航空の再建は難しいのに、メーカー出身の技術屋あがりの経営者である稲盛が再建しようとしても、決してうまくいかないだろう」と冷ややかに言われていました。それでも、私の信念が揺るがなかったのは、日本航空の再建には利他の心に基づく三つの意義があると考えたからです。

  一つ目は、日本経済の再生のためです。日本航空は日本を代表する企業であるだけでなく、伸び悩む日本経済を象徴する企業にもなっていました。その日本航空が政府の支援を受けても立ち直ることができず、再び破綻してしまえば、日本経済に多大な影響を与えるだけではありません。日本国民までも自信を失ってしまいかねません。一方、再建を成功させれば、あの日本航空でさえ再建できたのだから、日本経済が再生できないはずがないと、国民が勇気を奮い起してくれるのではないかと思ったのです。

 二つ目は、残された日本航空の三万二千名にのぼる社員の雇用を何としても守っていかなければならないということです。私が政府に請われて日本航空に行った時には、五万人近くいた社員の中から一万六千人に辞めてもらわなければならないという、大変悲惨な状況に陥っていました。それは、会社が倒産し、会社更生法という法律のもとで、弁護士、会計士の方々が集まって決められたものです。私は、残った三万二千人の社員たちを何としても救ってあげたいと強く思いました。

  三つ目は、国民のため、即ち飛行機を利用する人たちの便宜を図るためです。もし、日本航空が破綻すれば、日本の大手航空会社は一社だけになってしまいます。それでは競争原理が働かなくなり、運賃は高止まりし、サービスも悪化してしまうはずです。これは決して国民のためになりません。健全で公正な競争条件のもと、複数の航空会社が切磋琢磨していいくことでこそ、利用者により安価でよりよいサービスが提供できます。そのためには、日本航空の存在が必要だと考えたのです。

 日本航空の再建には、このような利他の心に基づいた三つの大きな意義、つまり「大義」があると考え、私は日本航空の会長に就任し、再建に全力を尽くす決意をしました。会長に就任後、私はこの三つの大義を日本航空の社員たちにも理解してもらうように努めました。

社員たちもそのことを通じて、「日本航空の再建は、単に自分たちのためになるだけのものではなく、立派な大義があるのだ。世のため人のためにもなるのだ」と理解してくれ、努力を惜しまず再建へ協力をしてくれるようになりました。高齢であるにも拘らず、誰もが困難と考えていた日本航空の再建を無報酬で引き受け、命を懸けて頑張っている私の姿を見た社員たちが感激してくれたということも、幸いしたのかもしれません。

 先にお話ししましたように、当初は週三日くらいの出勤と考えていましたが、日本航空の本社に詰める日が週に三日から四日、四日から五日と次第に増えていきました。八十歳を前にして、週のほとんどを東京のホテル住まいで過ごし、時には夜の食事がコンビニのおにぎり二個になるという日もしばしばという生活を送るようになっていきました。

 そのような姿勢で懸命に再建に取り組んでいる私の姿を見て、多くの社員が「本来なら何の関係もない稲盛さんが、あそこまで頑張っている。我われは自分の会社のことなのだから、それ以上に全力をつくさねばならない」と思ってくれたようです。

 そして、社員皆が心を入れ替え、「思い」を掻き立て、一生懸命に取り組んだ結果、倒産して僅か3年で日本航空は素晴らしい会社に生まれ変わることができました。いまでは、世界で最も利益をあげる航空会社に変貌を遂げています。

一生懸命に努力すれば「思い」は必ず実現する

人間の心、「思い」というものは、これほど素晴らしい力を発揮するものなのです。京セラにしても、KDDIにしても、また日本航空にしても、決して初めから成功が見えていたわけではありません。いずれも、最初は空想みたいな「思い」、何としてもやり遂げようという「思い」から始まっていったものです。

しかし、その「思い」を強く抱き、誰にも負けない努力を続けることで、空想みたいな「思い」だったものが、想像を遥かに超えた素晴らしい未来をもたらしてくれたのです。「思い」というものは、それくらい素晴らしく、強いパワーを持っています。ですから、ここにおられる皆さんは、人間の持つ「思い」は必ず実現することを信じるべきです。「こんなことを思っても高望みではないか」「どうせ実現しないだろう」などどは、決して思ってはいけません。できるだけ高邁な「思い」、崇高な志をもって、その高い目標に向かって必死の努力をしさえすれば、必ずその「思い」は実現していくはずです。

 同時に、それが「世のため人のために尽くす」といった純粋で美しい「思い」であれば、自分の能力を超えて、周囲の人々、さらに自然の力をも得て、実現していく可能性は高まっていきます。

 ただし、いくらいま強く思っても、すぐに実現するわけではありません。やはり時間がかかります。私はいま82歳になりましたが、これまで社会に出てから、60年以上も「こうしたい」「こういう人間になりたい」という「思い」を持って必死に努力を続けてきました。そしてその結果、いまは素晴らしい人生を全うできたと思っています。

 そのように時間はかかりますが、人間誰しも純粋で美しい「思い」を心に強く抱き、一生懸命に努力しさえすれば必ず実現できるということを、神様は約束してくださっています。それは自然の摂理であり、この世界の統べる法則です。そのことを信じ、これから学校で勉学に励むと同時に、家庭でもご両親にとって素晴らしい子供であるように、努力をしていただきたいと思います。

 ご列席の親御さんの皆さんも、子供たちの「思い」が実現するよう、ぜひ温かく見守っていただきたいと思います。この鹿児島に生まれ、ご両親の愛情を一身に受けてきた在校生の皆さんは、この玉龍高校で知力、体力と共に、立派な人間性、人柄、人格を育み、やがて日本の将来を担っていく人材として、世界に羽ばたいていくはずです。ぜひ、その長い人生において、自らが心に抱いた「思い」、高い志を実現していっていただきたいと思います。そうした、素晴らしい人生を送られることを心から祈念して、本日の講演を終わらせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

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京セラ名誉会長稲盛和夫特別講演「君の思いは必ず実現する 未来に生きる君たちへ」

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